今回紹介します銀魂エピソードは「六角事件篇」です。
沖田さんの見どころ溢れる素晴らしいエピソードのひとつ。こちらのエピソードのモデルとなる歴史の出来事を、ご紹介していきます。
また歴史解説をするにあたり、銀魂キャラの元ネタとなる人物も複数関連していますので、その紹介も併せてしていきます。
原作漫画は31巻
- 第270訓「死亡フラグにきをつけろ」
- 第271訓「汚れても護らなければいけないものがある」
- 第272訓「フラグを踏んだらサヨウナラ」
アニメは4年目
- 第186話「死亡フラグにきをつけろ」
- 第187話「フラグを踏んだらサヨウナラ」
あらすじ
ケーキ屋で商品を物色する沖田。店の外に出たところで、一人の少女に正面から刺されてしまう!! 沖田を父の仇と呼び、そのような凶行に及んだ理由は、「六角事件」という事件に関係しているらしい。事件と沖田、そして彼女の父親との関係は? そして何より、冒頭からいきなり刺されてしまった沖田の運命は!
引用 アマゾンプライム
六角獄舎の悲劇【概要】
元治元年7月19日(1864年8月20日)、「禁門の変(※1)」に端を発した大火(※2)が、六角獄舎(ろっかくごくしゃ)に迫り、火事の混乱で囚人たちが脱走することを恐れた幕史たちは、収監していた囚人30名以上を斬首刑に処した事件です。
※1禁門の変|六角獄舎の悲劇のきっかけとなる事件
長州藩兵と幕府側諸藩兵との戦いです。蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)ともいいます。
池田屋事件(後述)で多数の攘夷派志士が新撰組により殺害、逮捕されたことに憤激した長州藩は、蛤御門・中立売門・下立売門・堺町御門を攻撃しますが、会津藩や薩摩藩などの反撃にあい、長州藩兵の敗北で終戦しました。この事件自体は1日で終わっています。
松下村塾の久坂玄瑞(くさか げんずい)が燃え盛る鷹司邸で、同じく松下村塾生の寺島忠三郎と刺し違えて自決したことでも有名な事件ですね。
銀魂 来島また子のモデル
禁門の変を起こした首班人物は、銀魂で来島また子のモデルとなったといわれている来島又兵衛です。
長州藩の主戦派であった来島又兵衛。又兵衛は自ら遊撃隊600名を率いて蛤御門へと向かいましたが、幕府軍は20000名の大軍で応戦されて、返り討ちに合います。
又兵衛は乾門を守っていた西郷隆盛率いる薩摩軍銃撃隊・川路利良の射撃で、来島又兵衛は胸を打ち抜かれて負傷し落馬。重傷を負い、助からないと悟った又兵衛は、甥・喜多村武七に介錯を頼み、自ら槍で喉を突いたと言われています。享年48。
※2京都大火災|六角獄舎の悲劇の炎
禁門の変が起因となったこの火災は「どんどん焼け」と呼ばれています。
長州藩邸(三条河原町にあった長州藩が京都で政治拠点としていた建物)から出た火により、京都の広範囲の街を焼き尽くすことになりました。炎の範囲は、現在の中京区・下京区のほとんどの地域に及んだと言われています。
出火の3日後(元治元年7月21日)に鎮火しましたが、2万7000世帯が罹災、1000人の犠牲者、負傷者を出した大惨事となりました。
また有名な寺院である東本願寺・本能寺・六角堂も「どんどん焼け」にて焼失しました。
火災の原因は諸説あり、
- 敗戦しな長州藩兵が撤退する際、長州藩邸に放った火が燃え広がった
- 薩摩藩や会津藩による砲撃で火災が発生した
- 民家に逃げ込んだ敗残兵たちをあぶりだすため新選組が意図的に火を放った
等、複数の文献が存在しているため、原因特定には至っていません。
六角獄舎とは
六角獄舎の用途と歴史
正式名は三条新地牢屋敷。現代でいうところの留置場兼処刑場にあたる施設です。
六角獄舎の前身は、平安時代に都におかれた二つの獄舎である左獄と右獄。
右獄は鎌倉時代後期に消滅、左獄だけが安土桃山時代まで機能していました。左獄の場所は現在の京都府府庁辺りといわれています。
その後、左獄は豊臣秀吉の命を受け中京区御池小川上ル下古城町へ移転。しかし宝永五年(1708年)の宝永の大火で焼失したため、現在の中京区今新在家西町六角通神泉苑西入南側に移転されました。
そして幕末の頃には未決囚の牢獄として機能していました。
六角獄舎の跡地↓
六角獄舎では囚人への拷問も行われており、拷問の末の獄死が後を絶たなかったようです。
また食事が粗末であったり、病気をしても充分な治療を受けさせないという非人道的な行いにより、命を落とした未決囚も多かったと言います。
六角獄舎にあった「首洗井」
六角獄舎は、有罪判決で斬首刑となった囚人の首切り場でもありました。敷地内南西隅には「首洗井」がありました。
囚人を処刑した後、刀に付いた血糊や、処刑執行人にかかった返り血をこの井戸で洗い落としていたといわれています。
井戸は後に埋められ、現在は井枠だけが残され、井戸の用途から「首洗井」と呼ばれています。
このようなおぞましい言い伝えがあるため、首洗井は心霊スポットとしても有名です。
しかし現存している井枠は私有地にあり、一般公開はされていません。
また周辺は閑静な住宅街ですので、首洗井目当ての肝試しはご遠慮くださいね。
六角獄舎は日本で初めて○○された場所
六角獄舎は幕末よりも昔、宝暦四年(1754年)に人体解剖が日本で初めて行われた場所といわれています。人体解剖を行ったのは医学者・山脇東洋。
山脇は京都所司代の許可を得て、西土手刑場で処刑された死刑人を用い、六角獄舎で人体解剖に臨みました。
その後も山脇によって、1762年、1771年に死刑人を用いた解剖が行われたという記録が残っています。
六角獄舎跡には『日本近代医学のあけぼの山脇東洋観臓之地』と掘られた石碑が建てられています。
六角獄舎の悲劇【詳細】
前述のように、幕末の六角獄舎はまだ判決を受けていない未決囚を収監していました。その多くは国事犯や過激な尊皇攘夷派の志士など、現代でいうところのテロリストが多く、テロリスト専用の留置場として使われていたようです。
六角獄舎の悲劇が起こった、元治元年(1864年)、六角獄舎に囚われていた者の中には古高俊太郎(ふるたか しゅんたろう)、平野国臣(ひらの くにおみ)、長尾郁三郎(ながお いくさぶろう)という今でも名の知られた志士たちがいました。(各人物詳細は後述します)
禁門の変によって起きた火災は、六角獄舎近くまで延焼が迫ってきます。この火災の混乱に乗じて捕らえていた志士たちが逃亡することを懸念した、京都町奉行の滝川具挙(たきがわ ともあき)が、特に危険性のあると判断した志士33名(別文献では37名)の斬首を命じました。
このときの斬首刑を言い渡されたのは、先にあげた人物のほか、池田屋事件・生野の変・大和で蜂起した天誅組などにかかわった志士達であったといわれています。
ところが、処刑後に火災は六角獄舎の前で収束し、六角獄舎は残ってしまいます。このことで処刑の根拠は大きく揺らぎ、京都守護職の松平容保(まつだいら たかもり)は滝川の判断を誤りであったと指摘し、強くとがめたと言われています。
松平容保は、銀魂キャラ・松平片栗虎のモデルとなっている人物です。
松平容保なしに新選組はあらず。松平について語れば長くなりますので、別記事にまとめます。
話を戻しまして、幕府側が六角獄舎の処刑判断について、本当に問題視していたかには疑念があります。
その証拠に、滝川具挙は六角獄舎の悲劇の後、大目付(大名・高家等を監視して、これらの謀反から幕府を守る監察官の役割)への昇進を果たしています。
この構図は、問題を起こした官僚に対し周りが「大変遺憾」と言葉だけの避難するだけで、処分は特に下されないという現在の日本政府でも起こっているものと類似を感じますね。
結局幕府側の考えは、いつかは処分をしようと考えていた反幕府分子の執行が早まっただけであり大きく問題視する必要はない、ということなのではないかと考察します。
ちなみに、この六角獄舎の悲劇には他にも陰謀説があり、六角獄舎に捉えられていた池田屋事件(※3)関係者は斬首刑ではなく、実は新選組によって殺害されたという説もあり、真相は闇の中です。
銀魂では正義の味方として描かれている「真選組」。モデルとなった新選組はどうなのでしょうか。
六角獄舎跡地周辺を歩くYouTube動画がありましたので、オンラインで沖田さんの聖地巡礼したいという方は、こちらご覧ください。
※3池田屋事件|六角獄舎の悲劇との関連と銀魂
新選組が攘夷派として逮捕した古高俊太郎を拷問したことで、尊王攘夷派浪士が街に火を放ったすきに天皇を長州へ連れ去り、中川宮と松平容保を殺害する計画を自白させたとして、攘夷派浪士の集合場所の池田屋を襲撃、計画を阻止した、という話が池田屋事件の一般説です。
銀魂「六角事件篇」の内容は、この池田屋事件に近い設定がされています。
将軍暗殺を企てていた浪士たち、この情報を突き止めた沖田率いる真選組一番隊が、実行直前の会合の場であった六角屋に討ち入りを果たすというのが、銀魂でのエピソード内容です。池田屋事件との類似点がありますね。
しかしながら、池田屋事件については別の説が存在しています。
実は古高俊太郎は新選組からの拷問を受けても一切自白はせず、何も情報を得られなかった新選組は、ローラー作戦で浪士たちが潜伏できそうな場所へ手当たり次第踏み込み、偶然池田屋での長州藩兵会合に遭遇、斬り合いとなったという話があります。
その口封じのために、上記で説明したように六角獄舎内の古高ら、池田屋事件関係者を斬ったという話に繋がります。
こちらが真実でしたら、新選組の強引なやり方で巻き込まれた一般市民からすれば、たまったものではありませんね。
銀魂での池田屋事件をモチーフにしたエピソードは他にもあり、
六角獄舎に囚われていた尊王攘夷派志士たち
古高俊太郎
古高俊太郎は尊皇攘夷の志が強く、商人の立場を利用して諜報活動や武器類の調達を行い攘夷派浪士たちを手助けしたり、長州藩と有栖川宮側を繋ごうとしたりしていました。
アテンドしたるでェ
1864年6月5日の早朝、新選組により逮捕されます。
この時に武器弾薬が押収された他、諸藩浪士との書簡や血判書が発見され、壬生屯所の前川邸にある蔵に閉じ込められて、新選組局長・近藤勇、副長・土方歳三により直々に厳しい取調べを受けたと言われています。
新選組屯所・旧前川邸↓
拷問内容は中々にグロテスクなので割愛します。
そののちに古高は六角獄舎へ身柄を移され、六角獄舎の悲劇にて命を落とします。享年36といわれています。
古高が逮捕されたことにより、長州藩兵はより過激化し、幕末の歴史はより修羅の道を歩むことになったと言われています。
るろうに剣心でも描かれていた古高俊太郎。銀魂でも古高モチーフのキャラを加えて欲しかったなと、個人的に思ったりしてます。
平野国臣
平野国忠は福岡藩出身の尊王攘夷派の志士で、脱藩して京都に行動拠点を移します。
安政の大獄以来、おたずね者として新選組に追われる身となりますが、彼の行動力は劣りません。
桜田門外の変(井伊直弼の暗殺事件)の計画を練る会合に、平野が参加していたとされる文献もあります。
また、文久2年(1862年)の寺田屋事件(寺田屋騒動)では、薩摩藩過激派と連携して行動しようとするも失敗し、危険視された平野は福岡藩の牢に入れられるのでした。
福岡藩から解放された平野ですが、やはり行動力は有り余っており、1863年10月に但馬国生野(兵庫県生野町)で平野は尊王攘夷派である北垣晋太郎と連携し、天誅組の変に呼応して挙兵します。これが生野の変です。
ちなみに、銀魂の河上万斉のモデルとなった人物、河上弥市(元奇兵隊総管)もこの生野の変に賛同し、30人程の浪士とともに生野に入っています。
しかしながら幕末の対応は早く、翌日には周辺の藩から兵が駆けつけ、逃亡しようとした平野でしたが摑まってしまい、六角獄舎に囚われてました。
このように生野の変はすぐに終結してしまいますが、明治維新の導火線になったと言われている出来事といわれています。
平野はそののち、六角獄舎の悲劇にてその生涯に幕を閉じます。享年37。
平野といえば、入水自殺を図った西郷隆盛の命を救った男としても有名ですね。詳細はこちらご参照ください。
長尾郁三郎
長尾郁三郎は尊王攘夷運動家です。京都の町人ですが学問を志し江戸に上京し、平田銕胤(ひらた かねたね)の門下生となります。
長尾は京都に戻った後に、尊王攘夷運動に参加、文久3年2月22日(1863年4月9日)足利氏木像梟首(あしかがさんだいもくぞうきょうしゅじけん)事件を起こします。
将軍・徳川家茂(※4)の上洛に先立ち、尊王の大義を知らしめ幕府に警告を与える目的で、同志数十人とともに京都の等持院(とうじいん)霊光殿に安置されていた室町幕府初代将軍・足利尊氏、2代・義詮、3代・義満の木像の首と位牌が持ち出し、正当な皇統たる南朝に対する逆賊とする罪状を掲げ、三条河原(※5)にそれらを晒された事件です。
過激派すぎて、もはやホラー
長尾はこの事件を起こした後に六角獄舎に囚われて、六角獄舎の悲劇にて斬首刑が施行されます。享年28。
※4銀魂 将ちゃんのモデル
銀魂の将ちゃんこと、徳川茂茂のモデルとなった人物は江戸幕府第14代征夷大将軍である徳川家茂です。
徳川家茂は公武合体という政策を実現し、13歳で第14代将軍になった若き征夷大将軍です。急死したことで徳川慶喜が将軍になることになります。
将ちゃんの出演エピソード紹介は、こちらご参照ください。
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※5三条河原|銀魂、あのシーンのモデル
三条河原は、見世物の処刑場として有名です。
新撰組局長の近藤勇が斬首されたのち、彼の首は京都に送られ、三条河原にさらされたことが有名ですね。
「劇場版銀魂-完結篇-万事屋よ永遠なれ」では、近藤さんたちの公開処刑のシーンがありますが、ここの風景のモデルは三条河原だと考察します。
劇場版銀魂も見放題対象★
まとめ
知れば知るほど闇が深い六角獄舎の悲劇。銀魂の沖田さんが奔走する内容とはかけ離れたものでしたが、幕末の歴史を学ぶきっかけとなりましたね。
明るい気持ちになるためにも、六角獄舎の悲劇をモデルにした六角家篇をみましょう!
- 第270訓「死亡フラグにきをつけろ」
- 第271訓「汚れても護らなければいけないものがある」
- 第272訓「フラグを踏んだらサヨウナラ」
- 第186話「死亡フラグにきをつけろ」
- 第187話「フラグを踏んだらサヨウナラ」
参考書籍・参考サイト